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写真はイメージです

視聴者の多くが感動した1枚の奇跡

本日26日の放送で最終回を迎えた【エール】、その演出には意見が分かれていますが、それはそれぞれに思いがあり、作品に対してそれだけ視聴者も愛着を持って接していたことの表れでもあると感じました。

Twitterでは、撮影現場の人たちでさえ誰も予測していなかった奇跡の1枚について、嬉しさや悲しみの声が多数上がっています。

その1枚というのは、本編とは関係の無い部分で撮られた志村けんさんの笑顔の写真でした。

こちらは志村さんが共演者のNGを見て何気なく自然に笑った瞬間が偶然撮られていたようで、編集の方から言われて吉田さんも知ったことから、ご本人も仰るように作品への思いが、こうした奇跡に繋がることが本当にあるものだと皆さんにも伝わったのではないでしょうか。

スタッフ全ての思いを一つに

吉田さんは『となりのシムラ』シリーズや『志村けんin探偵佐平60歳』などで志村さんと番組に携わってきた間柄だったこともあり、その1枚について感慨深かったようで、ご本人からしても最終回に志村さんの笑顔の写真を入れたかったらしく、それがこうした形で実現できたために、撮影時には涙が溢れたことも頷けます。

本作が描くテーマに【プライドや嫉妬が時に人を強くもするが、その本人を蝕むこともある】ということもあったそうで、志村けんさんのリアルでの笑いについての貪欲なこだわりや、生きざまも耕三を通して更に感慨深いものになった気がします。

志村けんさん演じる耕三から裕一へ手紙が届くシーンについてチーフ演出で脚本も手掛けた吉田さんは、始めから考えてた構想の中に二人が再会するシーンも想定にあったそうで、それが違う形で再現されたものでした。

そのため、志村さんが他界されたために無理やり入れたシーンではないかと勘ぐっていた視聴者の意見もありましたが、これについては払拭されたのではないでしょうか。

最後のシーン、海辺で裕一と音が戯れるシーンは、吉田さんから二人に海へ向かって走ってくれという指示以外は何も演出はなく、全て二人の自由演技で、一発撮りだったという話ですが、これも作品に対するスタッフやキャストの想いがそれだけ詰まっていたのかなと思えるラストでした。

そのあと、裕一役の窪田さんから視聴者の皆さんへメッセージがあったように、引き続き明日は大団円として、ドラマは一切なく、NHKホールにて演者たちのコンサートが催される特別編が予定されています。

こちらは裕一のモデルとなった古関裕而作曲の名曲を演者たちがそれぞれ歌うもので、長崎の鐘を最後に全員で歌う予定になっています。

連続ドラマの最後に演者からメッセージがあり、そして特別編としてコンサートが開かれるという異例続きのドラマの大団円に志村けんさんもいて、歌声が聴けたら‥と思うのは私だけではないと思います。

【エール】音楽と共に生きた夫婦の物語

ドラマ【エール】は昭和という激動の時代に数々の名曲を生み出し、生涯5000曲もの作品を世に送り出した古関裕而と、歌手になる夢を追い続け力強く夫を支えた妻、金子の二人が音楽と共に生きた【おしどり夫婦の物語】です。

老舗呉服問屋の子供として生まれた古関は、呉服問屋の跡取りとして育てられていましたが、使用人の娯楽用に用意されていた蓄音機から流れる音楽を聴きながら絵を描いたりすることが好きでした。

周りからは取柄もなくぼーっとしてるような印象を受ける子供だったといいます。

しかし、小学校の頃から作曲の芽が出ていて小学校を出るころには楽譜が普通に読めるほどになっていき、次第に曲作りにハマっていきました。

高校の頃にも学業よりも作曲に熱が入っていて家業が倒産する事態に遭っています。

高校を卒業した後、銀行に勤め学生の頃から憧れだった山田耕筰の事務所に楽譜を何度も送り手紙のやり取りをしていた頃、山田耕筰の楽譜は何も見なくても分かるほどの記憶力だったそうです。

それが後に楽器を一切使わずに頭の中だけで、しかも同時に3曲思い描いていたとされる古関裕而の作曲の基礎となっていたのかもしれません。

しばらくたった時、あるコンクールで入賞し、その報道を見た声楽家志望の内山金子が古関にファンレターを送り、そこから100通にも及ぶ文通が続いた末に古関と内山は結婚しました。

内山は後に声楽家としても詩人としても知られるようになります。

古関は愛妻家だったという事で、晩年までおしどり夫婦として仲良く過ごしていました。

古関裕而を世に送り出した偉大な作曲家

古関裕而が作曲をするキッカケになり、志村けんさんが演じた耕三のモデルになった山田耕筰は、コロムビアの中で顧問をしていたこともあり、この山田耕筰の推薦により古関裕而は本格的に作曲の道を歩むことになります。

山田耕筰は、日本で初めて管弦楽団を造り、ニューヨークのカーネギーホールにてベルリン・フィルハーモニー管弦楽団やレニングラード・フィルハーモニー交響楽団を指揮したこともあり、欧米諸国からも広く認知され、日本での西洋音楽の普及に貢献しました。

耕筰の筰という文字は当時同じ耕作という名前の人が多かったことと毛の薄さをカバーするためにケ(毛)を二つ上に置いた竹かんむりの漢字にしたというエピソードも残っています。

童謡赤とんぼなど日本語の抑揚を生かした多くの作品は今でも広く愛されています。

地元に込めた思いが紡いだ官民協力の作品

このドラマの制作経緯がまた異例で、作品名エール=応援のことから、東日本大震災から10年が立とうとする福島を応援したいという事で福島出身の主人公で物語を考えようと、多方面で探していたところ日本を代表する作曲家の一人古関裕而に辿り着いたところから企画は始まります。

古関裕而と妻である金子二人それぞれの出身地である福島市と豊橋市が連携して商工会議所を通じて15万人以上もの署名を用意して誘致活動を行い、NHKに打診して誘致活動の末にドラマが実現した初の作品となりました。

今年2020年東京オリンピックの開催を記念して、1964年東京オリンピック開会式の入場行進曲である「オリンピック・マーチ」の作曲者でもある古関裕而と妻金子の物語をオリンピックの時期に併せて放送する予定でしたが、新型コロナウイルスの影響によりオリンピックが延期となったことでドラマのみ放送する形となり色々懸念されましたが、さまざまな人の想いが良い方向に結実したドラマとなりました。

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