写真はイメージです

毎年この時期になると思うことがあります。

仕事柄一部のカレンダー等を自由に持ち帰ることができるのですが、これを当たり前のことのように我先にカレンダーに飛び付く職場の人を見ていると、さながらデパートの初売りかバーゲンセールのように映ります。

普段どれだけ部下に美談を語ろうと、普段どれだけ家族のために働いている親であろうと、普段どれだけ身繕いをしていようと、こういった一瞬で、人の醜さや愚かさが浮き彫りになってきます。

たかがカレンダー、されどカレンダーです。

大したことじゃないと感じること、大したことじゃないと思うこと、そんな些細なことから人は簡単にすれ違います。

物事に理由をつければキリがありません。

映画やドラマの登場人物に思いを馳せ、そんな人が好きだとか、そんな人になれたらなと思いながら、できないこと、自らできるのにしないことにさえ、何かと言い訳をつける。

その積み重ねが「自分」というものを持たない人をつくりあげていきます。

部下に指導、子どもに教育とするならば、自らも与えられる物や環境が当たり前ではなく有難いことだとまず感じるべきではないでしょうか。

他にもここ数年あちこちで議論される中に傘の横持ちがあります。

周りがしてるからとか、そのほうが歩きやすいからといった意見もあり、その神経を疑います。

民事事件になれば実は重い処罰が課せられます。

特に考えてなかったという人ほど子どもを持つ親であったり管理職であったりという情けない事実。

子どもの目線で傘を持って歩いたら刺さることが分かりませんか?

人混みでぶつかったら人に重症を負わせることも容易に想像できませんか?

そんなことで人に何を教え導くのでしょう?

こういう無神経な人間ほど何かが起きたら必要以上にダメージを受け落ち込んだりします。

そうなるぐらいなら普段から人に対してもう少し考えて行動できませんか?と言いたくなります。

人を見るには内面を見る洞察力が不可欠と言われますが、こうした日常のシーンにも人の本質は必ず現れます。

博識で身を取り繕おうと身なりや服装で着飾ろうと本質を隠すことはできません。

何故なら人は欲の塊であるからです。

そこを意識して、制御して、いかに自分を律することができるか、それを積み重ねた一部の人が、どういった世界でも本物となりうるのでしょう。

学校や職場では人は選べないので、そこは自分を磨く場として活用し、プライベートでは「自分」を持っていない人とは私は関わりたくはないですね。

自分がないということは、何かあれば右へ習えか、世論に流される向きがあるからです。

それは、つまり信用に足る人物ではないということにもなりますし、何か問題が起きたら他人のせいにするか、なすりつけて逃げていくでしょう、そんな「自分」を投げた人は本人が気づき自分自身から変わっていく時を待つしかありません。

変わろうと努力している人を放置はしません、変わろうとする気持ちがまず何より大切です。

こんな環境じゃ無理、こんな家族じゃ意味がない、こんな年じゃできなくても仕方がない、本心でそれでいいなら、人生それぞれです、他人がとやかく言う事ではありません。

でもそれでもダメもとで変わろうとするなら喜んで一緒に考え、助け合います。

偉そうに聞こえますか?貴方たちは自分なら違うと堂々と言えますか?

いつか見た心理学か何かの研究資料で、人には人生の中でストレスを受ける度合いというものがあると、そこには記されていました。

例えば誰かとの死別、職場でのパワハラ、解雇、そういったことを細分化して、どういった内容が何%ぐらい人に影響を及ぼすかというものだったと思います。

心理的要因やストレスを数値化するのは、かなり興味のある内容でもあったので今でも記憶に残っています。

世間でも、その中の幾つかが当てはまったら「自殺」したり「鬱などの精神の病」にかかったりしますし、場合によっては事件や事故につながることもあるほど内容は多岐にわたっています。

当時それを読んだ私も実は結構当てはまっていましたね、正直やばくないかと数字を見て思ったほどです。

だから別に人間の人生を他人事にして、机上の空論で私は記事を書いているわけではありません。

変わるには変わっていくには自らが奮起しないと何者も当てにはならないということを知っているからです。

ここでこうして変わっていきましたと書くと独りよがりだとか、結果に繋がり変わっていく人は変わっていくけど変われないものもいるという意見が必ずといっていいほどでてきます。

バッサリ言わせてもらいます、それは「本気で変わる気がない」んですよ。それだけ。

本気で変わろうとして努力していけば人は必ず変わっていきます。

どれほどとろくても、どれだけ気が弱くても、どれだけ運が悪くても投げない限り少しずつでも前進は必ずします。

私がこうして今を生きているのもその一例です。

だから時々思うことがあります、前述の人に与えるストレスの幾つもを経験せず、両親も揃っていて、五体満足で、普通に人並みの食事をしていて、それで何ができないんですか?変われないって甘えじゃないですかと。

そういう人こそ今一度「自分」というものをきちんとつくる努力ができるはず、自分次第でいくらでもと、考えてみてください。

相当説教じみた記事になってしまいましたが、人間死ぬ気になれば変われるってよくいわれるでしょ。

不当な扱いを受け、人生に生きる意味を見出せなくなった人、どこにも相談できず誰も助けにならない人、

死ぬ選択が頭によぎった経験がある人たちこそ、この腐った世の中で輝くべきだと私は心から思っています。

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